トップ アイコン     裁判支援の街頭ビラ配付
2000年3月12日
カウンタ
from 2000/3/13

 3月12日、恩寵園卒園生4名と支援の大人達7名が集まり、船橋駅前でビラまき(1000枚)をしました。
カンパは2000円いただきました。ありがとうございました。
10時30分 
配布の打ち合わせ及びスケジュールの確認。
11時
ビラ配付 HPを見て手伝いに来て下さった方が一人いらっしゃいました。ありがとうございました。
卒園生及び支援グループでビラ配付。雨のため受け取りが悪い。エドワードがハンドマイクで呼びかけ。
12時
昼食。昨日、中学校を卒業し、恩寵園を出てきた子が参加。4月からは親元から専門学校に通うとか。
HP掲示板の話題になり、誰が元職員とやり合ったのか話す。集会の参加は5名で、今日来ていた子たち3名は否定。他の2名も、マスコミ取材を受けていて、そんな雰囲気ではなかったのでは、との意見。
結局、真相はわからず。
13時15分
ビラまき再開
雨も上がり、受け取りが良くなった。恩寵園と聞いて、積極的にビラを受け取る方もいました。
2時半に終了。途中、卒園生も、自らハンドマイクを握り、こんな恩寵園にして欲しいと呼び掛けました。
ずっとハンドマイクで呼びかけていたため、赤十字の方が、献血呼びかけを遠慮していました(申し訳ない)。呼びかけを終え挨拶したら、「私たちも応援してますから、がんばって下さい」と言われました。
 駐車場へ移動する東武デパートの送迎バスの中で、「高校生なので、お金がないですけど、がんばって下さい」と1000円のカンパをして下さった女の子がいた。(感謝)
最終的に1000枚配付。
15時
船橋東警察署 千葉県警察捜査一課の恩寵園担当者に大浜晶逮捕のお礼を言いました。
要請書を提出しようとしたら、恩寵園側からも要請書が出ているが、断っているとのこと。捜査の公平性を疑われたくないので、どちらからも要請文は受け取れないとのこと。
要請書を渡すのはあきらめ、「子どもたちは、当初は千葉県の調査と混同し、捜査に協力的でない子もいた。警察の捜査なら、全部話したいといっている」と伝えました。

3/12(日)駅前配布ビラ 

私たちは、大浜浩前園長と千葉県に謝ってもらうために
裁判を起こしました。応援して下さい。


 私たち恩寵園の卒園生は、3月10日、大浜浩恩寵園前園長・恩寵園理事会・千葉県に対し、損害賠償請求裁判を起こしました。

 児童養護施設とは、親が育てられない子どもや、親から虐待を受けている子どもが生活する場所です。私たちは、養護施設で、安全に健やかに生活したいのです。ところが、恩寵園では、殴る・蹴るが日常茶飯事で、私たちは、常に誰かが殴られ、次は自分が蹴られるのかと、怯えて暮らす毎日でした。ちょっと廊下を走っただけで24時間食事もなしに正座をさせられたり、些細ないたずらで手を切られ出血したり、乾燥機に入れられたりと、体罰というより、虐待・拷問のような仕打ちを受けていました。

 また、仲間が体罰を受けている姿を見ることを強制されていました。そして、それが普通の生活であると思い込まされていました。
 私たちには、殴られたくないのです。ご飯を食べさせてもらいたいのです。学校に行かせてもらいたいのです。いつも、園長の顔色を伺い、殴られないように、蹴られないように怯えて暮らす毎日でした。

 そして、4年前に耐えきれずに13人の子どもたちが集団で脱走しました。ところが、千葉県は虐待の事実を知りながら、園長をやめさせようとせず、私たちを追い返しました。
 私たちを守ってくれた保母も全員退職しました。園長に抵抗した私たちは、教護院に出されたり、親が養育する環境にないのに親元に返され、15歳で一人暮らしをしたり、高校に行かせてもらえず中卒で就職したり、全員追いだされるように恩寵園を出ていきました。

 このように、長い間、虐待されつづけた私たちは、過去の虐待を謝ってもらおうと裁判を起こすことにしました。大浜浩前園長だけでなく、虐待園長を雇いつづけた社会福祉法人と、虐待の事実を知りながら放置していた監督責任のある千葉県も、一緒に訴えました。

 これから、長い裁判が始まります。私たちの権利を回復するための裁判です。人として、してはならないことをした大浜浩、子どもたちを助けようとしなかった千葉県に謝っても
らうための闘いです。

 ぜひ、皆様のご支援をお願いいたします。
私たちに、「悪いことをしたら罰せられる」ということを教えてください。

             恩寵園卒園生有志

 恩寵園の元指導員で、大浜浩前園長の次男の大浜晶(31才)が強制わいせつの容疑で、3月8日に逮捕されました。
 2年前に小学校の女の子の体を触ったりした疑いが持たれています。それ以前から、私たちの間では、大浜晶のいやらしいことは、有名でした。大浜晶がポルノ雑誌を子どもたちに見せたこともありました。私たちは、4年前に逃げだしたとき、千葉県の職員に「大浜品がいやらしいことをする」と訴えました。
 ところが、千葉県は何もしませんでした。もし、そのときに千葉県の職員が動いていたら、今回の性虐待は起きなかったと思います。わいせつ指導員を知っていながら放置した千葉県も許せません。


(裏)

 私達、卒園生の多くは園を出た後園に遊びに行った事はありません。一緒に暮らした弟や妹に会いたくて訪ねた卒園生もいます。でも園の玄関から一歩も入れてもらえないのです。先日も、皆で園に行きました。でも玄関で追い返されました。
 僕たちは数年の者から長くて15年以上も恩寵園で暮らしてきました。子ども時代を思い出すと、いつも恩寵園の中の食堂や、グループに分けられた部屋を思い出します。
 僕たちは、恩寵園での生活は虐待の日々で楽しい思い出はありません。でもみんなで暮らしたあの日々がたった一度の子ども時代なのです。
 児童養護施設で暮らす子ども達は、施設で生活することから既に親や、家族と離れることになり、気持ちが塞ぎます。
 恩寵薗で暮らす子どもたちが、どうすれば、楽しく、いい思い出の恩寵園時代を過ごせるのかは僕たちが一番よく知っています。
 卒園後一度も会っていなかった卒園生が、今やっと連銘を取り合えるようになりました。
僕たちは、恩寵園にあそぴにいける、思い出の場にいける園にしたいと願っています。
みんなが遊びにいける施設つくりに協力させて下さい。

暮らしてきた僕たち、生活している子ども達の声を聞いて下さい。
そして、いつか地域の人もみんな僕たちの施設に遊びに来てください。

生まれ変わった恩寵園は、こんな施設になって欲しい

私たちは、恩寵園で暮らしていたとき「殴られるのが当たり前」「怒鳴られるのが当たり前」「何日も正座させられるのも当たり前」と思っていました。
 でも、裁判を起こす前に他の施設に行ってみて、「こどもたちの表情が違う」「こどもたちの話し方が違う」「緊張しているこどもがいない」ことなどに驚き、今までの「施設」に対して抱いていたイメージが崩れて混乱した一方で、近い将来、恩寵園がこんな施設になったらいいなと思っています。
                                    恩寵園卒園生有志

★暴力は、絶対なくす。
★子どもたちに、いやらしいことをしない。
★子どもの心を傷つける言葉を言わない。
★自由行動も可能で、好きなときに外出してもよい。
  (もちろん門限は守るよ)
★おこづかいを同年代の子と同じくらいにして、自由にもって歩ける。
★友達の出入りも可能にする。
★施設の規則をこどもと一緒に考える。
★夕食の時間が4時45分と早いので、夜にはお腹がすいて困ります。もっと遅くして欲しい。
★門限や就寝時間も同年代の子と同じにして、学校の友達ともっと長く一緒にいられたり、テレビドラマの話などについていかれるようにする。
 (恩寵園の就寝時間は中高校生も夜8時だった)
★卒園生や近所の人が気軽に立ち寄れるような開放的な雰囲気にする。
★希望すれば全員高校に行けるようにする。

カ ン パ の お 願 い


 私たちの仲間は未成年者が多く、中卒で放り出され、保証人がいないため正式な就職もできず、アルバイトをしながら不安定な生活を強いられています。これから裁判の間中、仕事を休んで裁判に出ることになります。このようなビラを作ったり、裁判所への交通費なども大変な金額になります。私たちには、お金がありません。出してくれる親もいません。自分たちでお金を作らなければなりません。私たちの裁判を応援して下さる方は、カンパをお願い出来ないでしょうか。お気持ちでけっこうです。よろしくお願いします。

 郵便振替 00190−3−168955 恩寵園の子どもたちを支える会 代表 浦島佐登志