トップ アイコン     《この一年を振り返って》
命令と禁止の養育から愛と自由の養育へ

2001年5月1日
カウンタ
from 2001/5/27

 恩寵園園長 新田目 建


 昨年の4月以来、恩寵園の子供たちはもとより、職員もずいぶん戸惑い混乱しました。
 強制がなくなり、自主性があらゆる生活の場面で要請されました。お部屋のお掃除、学校の宿題、自転車や遊んだあとの後片付け、脱いだ靴の始末、洗濯物の整理等々。すべての場面で「何々しなさい。何々してはいけません。」という命令と禁止の言葉が少なくなり、「何々しようよ。何々はやめようよ。」という共感と自覚を促す言葉が主となりました。
 今迄「させられてきた」子供たちは、当然混乱しました。不安定になりました。
 気持ちが不安定になれば、子供はいろいろな症状を呈します。生活規律がなくなり、無秩序となりました。たとえば朝寝坊して食事の時間に遅れてくる子が増えました。不登校児か゛出始めました。遅刻の子供が増えました。夜遅くまでテレビゲームに熱中し宿直の保母を困らせる子、近隣のスーパーで万引きをする子、学校や幼稚園で落ち着きがなく、授業を妨害して先生を困らせる子が増えました。
 職員はその対応に追われました。スーパーに行って、万引きしてつかまった子供と一緒にお詫びをしたり、学校の先生に、欠席あるいは遅刻の言い訳を言ったり、喧嘩相手の家庭に怪我をさせたお詫びをしに行ったり・・・。
しかしかつてのようにそのあと、罰を与えたり規律を強制することなく、ひたすら子供たちの心の中にまどろんでいる、『より善く生きることへの衝動』が目覚めることを願い、日々の生活を営み続けました。それは職員にとって忍耐のいる、ストレスの多い日々となりました。しかし、数ヶ月前までの強制と禁止の重苦しい生活に、戻りたくないというヒュウマニスティックな思いが、職員の心を支えました。
 そんなある日曜の朝食の時、私は何時ものとおり「教会学校に行きたい人は手を挙げて。」
と子供たちに呼びかけました。私はクリスチャンなので、毎日曜日、キリスト教会で礼拝を守っています。子供たちも一緒に教会に行けたら、どんなにいいことかと思うので、いつも希望者を募るのです。或る人は恩寵園に牧師にきていただいて、園の中で礼拝をしたらと言います。キリスト教系の施設では当り前のように行われています。私はそれをしたくないのです。第一に宗教の強制になります。宗教教育もやはり強制すべきではありません。第二に施設はなんでもかんでも、施設の中で解決しようとします。施設の外に出て行って解決できることは、積極的に外に出て行くべきです。
その日も「はーい」と7,8人の手が挙がりました。その中に5才のU子がいました。出発時間になってもU子が来ないので、部屋に迎えに行きました。なんとお部屋のリーダー、中一のL子の前でワーワー泣いていました。
「どうしたの」と聞くとL子が言いました。
「U子は今週悪い子だったから、教会にいっちゃだめ、といったら泣いて言うことを聞かないんです。」
「なるほど、でもLちゃん。恩寵園は悪いことをしても、罰はあたえないことになったでしょう。Uちゃんがわるい子だからと罰を与えるのはよそう。悪い子だったら、よけい教会にいったほうがいいよ。むしろ神様はわるい子が教会に来るのをとても喜ばれるのだよ。だからUちゃんを連れて行こう。」
私の話が終わったとたん、L子が言いました。
「そんな甘やかしたら、しつけが出来ません。」
私は唖然としました。
「そうか、しつけねえ。しつけも大事だけど、神様にお会いすることのほうが大事だから、U子を教会に連れて行こう。」
L子は不承不承うなずきました。
 私はL子のこの言動に、まさに数ヶ月前までの恩寵園の養育理念を、観る思いがしました。「悪いことをしたら、罰を与える。」「甘やかしては、しつけが出来ない。」とわずか13
才の少女が本気でいうのです。それほど過去の恩寵園の養育理念は、子供にも浸透していたのです。
 「悪いことをしたら、叱る。(罰をあたえる。)」この考え方はなにも過去の恩寵園のものだけではありません。ごく一般的な考え方で、常識と言ってもよいでしょう。
でもこの考え方は本当に正しいのでしょうか。私はこの考え方が、体罰を生み虐待になっていく根源だと考えるのです。
 この考え方の根底には、「放っておいたらますます悪くなる」という考え方が潜んでいます。万引きをしたら、叱って(罰を与えて)二度と繰返さないようしつけなければ、ますます悪い人間になってしまう。あるいは毎日きちんとお掃除をしたり、歯をきれいに磨かなければ、つまり基本的生活習慣が身につかなければ、自立した人間になれない。社会的に不適応人間になってしまう。それではいけないので、規律正しい生活を強制してでも、あるいは体罰をあたえてでも、基本的生活習慣を身につけさせるということになります。
 これは犬や猿に芸を仕込むのと、本質的に同じことだと私は思うのです。つまりこの考え方は人間を犬や猿と同じく進化した動物の一形態と考えるわけです。人間を自然科学的に考えるのです。この考え方を私たちは、小学校の時から教え込まれているのです。小学三年の男の子が、いいました。
「ぼく一人っ子だね。ぼくのお父さんとお母さんは一回しかセイコウしなかったんだね。」「セイコウ ?」 
はたで聞いていた担当の保母が笑いをこらえながら解説してくれました。
「このまえ授業参観がありました。性教育の時間でした。その時、お父さんとお母さんの性交の結果、赤ちゃんができるのですと教えられました。Eちゃんは兄弟が欲しいので、もっとセイコウしてほしかったと言いたいんですよ。」
 人間は男女の恣意的な性交の結果誕生する生物なのだという考え方から、人間はなんのために生まれたのかという目的は見えてきません。あるのは社会に適応できる人間に育てることだけになります。社会の、学校の、施設の規範からはみ出ないようにしつけ、トレーニングし、教え込まなければ野蛮人になってしまうと考えますから、強制と禁止が必要とされます。その線上に体罰と虐待があるのです。自然科学的人間観が教育を歪め、人間社会から人間らしい暖かさや、潤いを喪失させてしまったのだと思うのです。
 では自然科学的人間観にかわる、どのような考え方があるのでしょうか。
それは『子どもは(人間は)より善く生きよう』という衝動を持って(与えられて)生まれてくるのだ、ただそれがいろいろな障害にはばまれて目覚めず、まどろんでいるだけなのだ、だからそれを目覚めさせることが教育なのだという教育思想です。ペスタロッチ、フレーベル、シュタイナー、日本では羽仁もと子、小原国雄の教育思想がそれです。私はこの教育思想がただしいと、長い児童との係わりの中で確信するに至りました。 
 その確信を私にもたらせたことは、数多くありました。そしてそれは子どもたちが、私に示し教えてくれたことでした。
 別府平和園でのことでした。ある日C子のお母さんから電話がありました。
「いまC子が泣きながら電話をかけてきました。私の大事なウサギのぬいぐるみを、ハサミでメチャメャに切られちゃった。もういやだすぐ引き取って。私ころされちゃう。といっています。このままですとますますエスカレートして、C子の言うとおりになりかねません。そうかといって今すぐC子を引き取ることはできません。園長先生、何とか早く解決してください。犯人を見つけて、二度としないようにしてください。もしいじめの防止策をたてないのなら、わたしは児童相談所に告発します。」
 私は重い気持ちで、子どもたちのホームに行きました。保母を中心に子どもたちが、黙りこくって座っていました。
「どうしたの?」と聞くと保母が
「Cちゃんのぬいぐるみが、ハサミで切り刻まれてしまったので、誰がこんな意地悪をしたか聞いているんです。」
「それで?」
「誰だか分からないので、困っているところです。」
(さて困ったどうしよう。)
 ふと、C子と目が会いました。怒っているきつい目でした。そのきつい目を見た瞬間、私の口から思いもよらぬ言葉が流れ出ました。
「C子はね、いつも一言が多くて、人を傷つけることがあるね。君は気がつかないで、きっといつか、このホームの中の誰かの心を傷つけたんだろうね。その人が仕返しをしたんだとおもうよ。君が人の心を傷つけない、優しい思いやりのある女の子になったら、二度とこんな目にあわなくなるとおもうよ。だから優しい思いやりのある女の子になるよう努力しようよ。」
そして周りの子には、
「仕返しをした子は、きっと胸がすっとしただろうけど、じつは復讐をしたことは自分の心を傷つけているんだよ。その人の心の中のイエス様を傷つけて血だらけにしているんだよ。だからもう復讐は止めようよ。C子ばかりでなく、このホームの全員が優しい思いやりのある子どもになったら、こんな事件は決して起こらないよ。僕は犯人探しはしない。それよりイエス様を血だらけにしてしまったお詫びと、これから優しく思いやりのある子どもになるよう、助けてくださいと神様にお祈りしようよ。」
子どもたちは私の提案に賛成して、皆で祈りました。
 それから一週間程過ぎた頃、C子がT子とニコニコ顔で私のところにやってきました。
「どうしたの。何かいいことがあったの?」
と聞くとT子がいいました。
「あのね。ハサミでジョキジョキやったのあたしだつたの。」
「えっ、君だったの。」
「ウン、それでCちゃんにあやまったら、Cちゃんにあやまられちゃったの。」
「えっ?」
「Cちゃんが、そうか私がTちゃんの心を傷つけていたんだ、ごめんねとあやまられちゃったので、じゃ園長先生のところに報告にいこうとなって二人できました。」
C子が明るくいいました。
「もう仲直りしました。」
二人ともニコニコしていました。私は犯人探しをして、罰を与えなくてよかったのだと確信しました。
 最近恩寵園でもこんなことがありました。私が外出から帰ってきたとき、3人の男の子が保母と指導員の前でうなだれていました。
「どうしたの?」
「スーパーで万引きをしたところをみつかって、いま注意しているところです。なにしろこれで3回目なんです。」
「そうなの、それじゃ充分言って聞かせてやってください。」
しばらくして指導員が、3人をつれてきました。
「私の話はおわりました。もう二度としないと約束しました。最後に園長先生からもお話をと思って連れてきました。」
「そうなの、それじゃ皆で手をつないで神様に、今日僕たちは悪いことをしました。
すみません、許してください。そして二度と悪魔の誘惑に負けて悪いことをしないよう、お守りお導きくださいと、お詫びとお願いのお祈りをしよう。どうだね?」
「うん、する。」
3人とも承知したので、皆で手をつないで祈りました。
 二日後のことでした。
「園長先生、あの子達またやっちゃいました。」
「えっ、なにを?」
「万引きです。」
「そうか、お祈りがたりなかったんだね。連れてきて。もう一度、お祈りしよう。」
「そうですか、じゃ子どもたちを呼んできます。」
ところがもう遊びに出かけて園内に居ませんでした。
「じゃ、後にしよう。」
ところが他の用事にかまけて、彼等のことを忘れてしまいました。数日後、廊下であの3人組のうち2人が、お菓子の袋を片手にバリバリ食べていました。
「おっ、そのお菓子は?」
2人が同時に言いました。
「違うよ、このお菓子、お金で買ってきたんだよ。」
「えっ、おかね?」
「ウン、先生におこずかいもらって買ってきたんだ。」
「そうか、じゃおいしいね。」
「ウン、おいしいよ。」
「そうか、じゃ神様にお礼のお祈りしようよ。T君お祈りしてよ。」
T君はお菓子の袋をもったまま、大きな声で祈りました。
「神様ありがとう。アーメン」
それは短い祈りの言葉でしたが、その明るく澄んだ、張りのある声を聞いて、ああこの子たちは万引きなど、もう二度としないなと思いました。罰を与えなくても、悪いことはしなくなるのです。子どもの心の中にまどろんでいる、より善く生きようとする衝動を目覚めさせればいいのです。
 ではより善く生きようとする衝動は、どうすれば目覚めるのでしょうか。それは「愛」で包み込むことしかないのです。子ども一人一人が、職員に、仲間に暖かく包まれていると実感できるとき、はじめて子どもの「より善く生きようという衝動」が、目覚め始めるのです。そして一人で歩き始めるのです。
 次の詩は別府平和園でめぐり会った、ある女の子の書いたものです。彼女は実母に虐待され、満身創痍といった状態でした。前髪をばさりとたらして顔を隠し、髪の毛の隙間から白い目で私たち大人を見ていました。いつのまにか「すだれちゃん」とあだ名がつきました。小学4年生でした。その彼女が、4年後に次のような詩を書いたのです。
      人間は生きている
      でも一人では生きられない
      たくさんの人の力を借りなければ
      一人一人たすけあって
      生きていく、
      それが人間なのです。
              中2 Y子
 虐待され、それも実母に骨を折られるほど折檻され、大人への不信を露わにしていたY子が、入園4年後にこういう素晴らしい詩を書いたのです。
 平和園には心理治療室や治療器具もありません。もちろん心理治療士はいませんでした。
 ごく普通の養護施設の設備と職員でした。ただ違うのは,園全体が自由で愛に充ちた家であろうと、職員一人一人が意識し努力していたことです。(勿論、一年目は相当混乱しました。)
 恩寵園も昨年の4月から、自由で愛に充ちた家を目指して歩み始めました。そして前述のような混乱が生じました。しかし二学期になり、不登校児が休みがちでしたが、登校するようになりました。万引き事件は少なくなりました。足の踏み場も無いほど散らかっていた部屋が少し片付いてきました。三学期になり、不登校児は遅刻はするけど、殆ど欠席しなくなりました。(一月に入園した女の子が、不登校です。) 
万引き事件は全くなくなりました。三月の末でした。保母が「園長先生、お部屋を見てください。子どもたちが片付けるようになったんです。Y君なんか自分で歯を磨くようになりました。」
 部屋にいってみました。確かに部屋は片付いていました。私は安堵すると同時に、ハワイの教会から来た若い伝導団のリーダーの評を思い出しました。「恩寵園はどうですか。」と言う私の問いに彼は言いました。「とても明るくて,暖かい雰囲気ですね。」日本語が分からない人の評ですから、重みか゛ありました。
 恩寵園は一年経って、子どもたちの「より善く生きようという衝動が」目覚め始めるような暖かい雰囲気になってきたと言えるでしょう。
 昨日のことでした。中2のH男が私のところにきました。彼が私のところに来るのは,何か大物をねだるときです。案の定、
「園長先生、サッカーのスパイク買ってください。」
「どうしたの?」「こわれちゃったんです。」
「そうか。このあいだ君の担任の先生が、この頃H君サッカーの練習に、張り切ってますとおっしゃってたよ。スパイクが破れるほど練習してるなんて、たいしたもんだ。さっそく明日にでも買いに行きなさい。」
彼はニッコリ笑って明るく言いました。
「ありがとうございます。」
半年前スパイクを買ったとき、笑顔はなかったし、ありがとうもありませんでした。
その彼がこんなにまで成長したのです。
 昨年の5月の連休後から、不登校児が6人となりました。中学生3人、小学生3人。H男もその中の一人でした。6月の末、H男たちの不登校について話し合いたいと、中学校から連絡がありました。校長先生と4人の先生が居られました。3人の欠席情況の説明があって,恩寵園はどのように指導しているのかと問われました。
 「子どもは情緒的に不安定になると、さまざまな症状を呈します。ある子は不登校に,ある子は暴力に、ある子は不登校になったり、ある子は盗み(万引き)をしたり、あるいは慢性的な偏頭痛に悩むなどさまざまです。私はその様な症状を、僕は苦しいんだ,悲しいんだ助けてという、SOSのサインなのだと理解します。と同時に今苦しんでいる原因は、今にあるのではなく、実は5年前に原因があるのだと、私は長い児童との生活の中から仮説をたてています。5年前の運動会でゴール寸前で転んでびりになった挫折感とか、5年前両親が離婚して家族がばらばらになってしまった、僕はこれからどうなるのかという極度の不安感,あるいは5年前教室でおもらしをして、友達に嘲られた屈辱感など、そういった心理的外傷経験が、その時充分癒されないと地下水のように意識の底にもぐり、5年後、何かの刺激で意識の表面に現れるのです。H男とあと2人は、5年前に発生した恩寵園問題で極度の不安に怯えたのでしょう。当時、誰も彼等の極度の不安を癒すことをしませんでしたし、気が付かなかったのでしょう。彼等の極度の不安は地下水のように意識の底に潜り、5年後の今不登校と言うかたちで、自己主張しはじめたのです。彼等は、この四月から自由に自分の意見を、自分を表現していいのだと感じたので、彼等は苦しい,辛い、不安なのだというSOSのサインを発しはじめたのです。私の経験からいうと、この症状は3ヶ月から6ヶ月、長い子で1年は消えません。この間は脅してもすかしても、おだてても叩いてもまずだめです。そうすればするほど、子どもの心は閉ざされます。何故なら傷ついている心を、さらに引っかくようなものですから。ですから、この期間はただひたすら、受容することです。以上のことから、私たちは不登校児に登校刺激を与えず、じっと彼等の心の傷が癒えるのを願って待っているのです。どうぞ時間をください。」先生方は私の長広舌を辛抱強く聞いてくださいましたが、理解してくださった様子ではありませんでした。校長先生が言われました。
「子どもの自主性を尊重することは大切ですし、成長を待つことも大切なことはよくわかります。でも学級の中で、一人だけ特別扱いすることは出来ません。どうか登校できるよう充分に指導してください。」
そして担任に発言を促しました。担任の先生が言いました。
「私は過去に恩寵園のお子さんを何人も受け持ちました。彼等は38,9度熱があっても登校してきました。そんなに熱があるなら、学校をお休みしなさいとすすめると、恩寵園に居るほうが地獄だから学校にきたほうがいいといって頑張って登校していました。今の恩寵園はあまいのではないのですか。」
私は唖然としました。なにおかいわんやです。不登校は意思が弱いからとか、怠けているからではなくて、心の傷を癒したいというSOSのサインなのだ、不登校というかたちで自己主張しているのだ、と説明したつもりだったのに全然通じていないのです。「わかりました。充分気をつけます。」
 充分気をつけるというのは、登校刺激を与えてますます彼等の心を傷つけないよう、気をつけますと言う意味だったのですが、何に気をつけるのか先生は聞きかえしませんでしたので、それをしおに帰ってきました。
 それから丁度一週間目でした。恩寵園を告訴している原告団(卒園生と市民のグループ)の弁護士さんとお会いする機会がありました。その弁護士さんが言われました。「原告団の卒業生の一人が、ねえ先生、この頃恩寵園では病気でないのに、学校休んで園に居る子がいるんですって。信じられない。私たちなんて熱があったって、園に居るほうが地獄だから無理してでも学校にいったの。ホントに信じられないと言っていました。恩寵園は子どもたちにとって、居心地のいいところになったんですね。ありがとうございます。」とお礼をいわれてしまいました。
 三ヵ月後(二学期)、H男たちは欠席しがちでしたが登校し始め、三学期には遅刻はするけど、風邪などの病気以外は欠席することなく、登校するようになりました。そして新学年になって、全く元気に学校生活を楽しむようになりました。「より善く生きようという衝動」が目覚めたのです。
 この一年間の職員の努力と忍耐は、報われつつあるのです。恩寵園は強制と禁止の恩寵園から、愛と自由をめざす恩寵園へと生まれ変わりつつあるのです。そしてこの情況は、老朽化した園舎の改築の実現を目の前に引き寄せました。
『新しいぶどう酒は、新しい皮袋に』と聖書にありす。まさに神の恩寵でなくて、なんでありましょうか。
(2001年5月1日記)