トップ アイコン   懲戒の請求等に関する申入書
2001年8月2日
カウンタ
from 2001/8/3

 15時に千葉県庁に、大人4人と卒園生3人が集合して、懲戒の請求をしようと思ったのですが、
申し入れ先が、人事委員会ではないと言われ、総務課の人事担当でもないと言われ、
結局、児童家庭課が窓口になると決まるまで、30分以上かかってしまった。
ちゃんと対応してくれた、受付の方たち、どうもありがとうございます。
 児童家庭課は、一応丁寧な対応で、懲戒の申し入れを受け取ってくれました。
内容は近日中にアップされると思いますので、詳細は省略します。
ただ、司法の判断で実刑(有罪)とされた、平成6年の傷害事件は、
平成7年に起きた13人の児相駆け込み事件の時にも、皆が話していることであったので、
なぜ司法の判断のようにならなっかたのか、それだけは強く申し入れた。
 さらに、平成7年の時点で、大浜一族に、県がキチンとした対応をしていれば、
大浜晶の強制猥褻事件と強姦事件は起きなかった事も、強烈に伝えてきました。
恩寵園を追放された子どもたちの、悲惨な話も、強く訴えました。
 話しは、ちゃんと聞いてくれたけれど、今後どういう扱いになるのか不明です。
執念深く、監視をして行くつもりです。
ちなみに担当者は、千葉県健康福祉部児童家庭課副課長です。рO43−223−2325です。
私もこまめに電話をするつもりですが、興味のある方は、電話をしてあげてください。(佐登志)
(MS-WORDファイル17KB) 

2001年8月2日

申し入れ書

千葉市中央区市場町1丁目1番
 千葉県知事 堂本暁子様

恩寵園の子どもたちを支える会

1.申し入れの趣旨


 申し入れ人は、児童養護施設「恩寵園」における体罰・虐待の実態を公にするために、平成8年4月3日から5日にわたる児童相談所に駆け込んだ13人の訴えを省みることなく、その後の恩寵園の運営において当時園長大浜浩及び当時職員大浜晶を残留させる決定に関わった行政責任者の処分並びに平成10年5月に同「恩寵園」を措置解除されたM(当時16歳)が児童福祉法に定めた措置を受ける必要があったにも関わらず意図的に放置した責任の処分について、以下の項目を申し入れる。

1)、千葉県知事は(以下・知事という)刑事犯罪人を行政責任において処罰するべき責任を放棄した当時児童家庭課長成田(以下・成田という)と当時中央相談所所長前田(以下・前田という)を地方公務員法(以下地公法という)第30条(服務の根本基準)、同32条(法令等に従う義務)、同33条(信用失墜行為の禁止)、同35条(職務に専念する義務)等の違反行為に対し、地公法第28条「勤務実績不良、適格性の欠如」及び第29条2「職務上の義務に違反し、叉は職務を怠った場合」に基づき、懲戒免職処分にすること。

2)、知事は、成田の決定を幇助した当時児童家庭課課長補佐平野(以下・平野という)及び当時市川児童相談所職員本山(以下、本山という)を1)と同様の根拠に基づき、懲戒処分にすること。

3)、知事は、前記Mが実父と同居する事を条件に恩寵園を措置解除されたにも関わらず実父が一切扶養義務を行使しない実態を知りながら、それを放置し、Mを保護する義務を行使しなかった、当時市川児童相談所職員石川を1)と同様の根拠に基づき、懲戒処分にすること。

4)、知事は、恩寵園における体罰・虐待を永きにわたって放置してきた行政責任を認め、こうした事件の再発を防ぐためにも、あらゆる施設への県としての管理監督を強めるための方策(強制力を持つ第三者機関の設立等)を直ちに実施すると同時に、5年にわたる行政不作為について、関係者に(恩寵園の卒園生及び在園児童等)誠意のある謝罪をすること。

5)、知事は、最近の虐待による児童の死亡事件が増加している現実に対する唯一の解決策である、里親制度の拡充や児童養護施設の設備的改善や処遇の向上のための施策を早急に講じること。

6)、知事は、恩寵園問題が大きな社会問題となっている渦中に、香取学園での体罰・虐待が発生した事を重大な問題として受け止め、「施設における、在園者の人権擁護行動計画書」を早期に策定し、施設内虐待を行った者に対する罰則規定及び管理規定を全ての施設に義務付けること。

7)、知事は、申し入れ人に対し、前記各号の申し入れ事項の対応結果を文書により、説明し、報告すること。

2、申し入れの理由


 恩寵園に関しては、千葉地裁による三つの判決で、司法としての判断が明らかにされている。平成7年8月23日以降、恩寵園問題の全てを知り得る立場にあった千葉県は、これらの判決が指摘した事項について、重く受け止めなければならない。
 第1は、平成9年10月4日提訴「平成9年(行ワ)第71号損害賠償請求事件」(以下・民事訴訟という)
 第2は、平成12年3月8日に千葉県警により逮捕、4月3日再逮捕された元恩寵園職員大浜晶(以下・晶という)に関わる「刑事裁判」(以下・晶の裁判という)
 第3は、平成12年5月26日に千葉県警に逮捕された前恩寵園園長大浜浩(以下・浩という)に関わる刑事事件(以下・浩の裁判という)

1)、民事訴訟判決要旨
平成7年8月23日以前での恩寵園で、園長及び数人の職員による頻繁な体罰が存在したことを認定し、平成8年3月までの県職員の指導が無効であった事を認めている。その後の、県の指導を以ってしても、改善をすることが出来なかったのであるから、平成8年4月5日前後の時点で、「園長の解職を含む指導体制等の改善をはかることを法人恩寵園に勧告すべき作為義務が生じたものと解するのが相当であって、右勧告をすべき状態は、その後も継続していたものと認められるから、被告が右勧告をしなかったことは違法であったと認めざるを得ない。」としている。
さらに、同判決では、千葉県児童家庭課及び中央児童相談所が平成8年4月の時点で知り得た体罰・虐待の事実について10項目にわたって悪質な体罰・虐待として認定している。
追加して言い添えるが、同判決要旨には、「県が改善勧告を出せば、容易に防止出来ることであった。」とも認定している。

2)、浩の裁判の判決と判決要旨
大浜浩を懲役八月に処す。(未決拘留参入90日)
平成6年9月18日午後4時頃、当時7歳の児童が鬼ごっこに夢中になり、裸足でベランダに出た事について腹をたてて、同児童の左手小指を刈込鋏で意図的に切りつけた事により、傷害事件として判決が出された。同判決要旨では、この傷害事件が意図的なものであることを認定し、児童擁護施設の最高責任者として、自らの不注意により傷つけたとしても、その記憶が残って当然にも関わらず、その記憶が曖昧であるとの浩の供述について、擁護施設の責任者としての資格がないと言わざるを得ないと断罪している。さらに、被害者の保護者に対して傷害を受けた事にたいして謝意や説明をするのが当然にも関わらず、何もしていないことを糾弾し、抵抗する術が無い児童に対し、刈込鋏で切り付けると言う、極めて卑劣かつ危険な行為と断定している。
小学校1年生であった被害者が被告浩に傷つけられた恐怖感や精神的障害の大きさにも言及されている。この事件により、千葉県における児童養護施設に対する信用が著しく損ねられた事にも言及し、再発防止と反省の無さを理由として、求刑1年に対して、異例の執行猶予無しの実刑八月が申し渡された。

3)、晶の裁判
大浜晶を懲役四年に処す。
晶の実行行為は平成9年9月上旬に当時12歳だった女児に対して、猥褻な行為を迫り、その状態をポラロイドカメラに写した強制猥褻罪と同児に対する9月下旬の強姦事件の実行者として逮捕・起訴された。また、平成10年10月に別な女児に対する強制猥褻の事件でも逮捕されている。
判決要旨については、余りの生々しさ故に触れる事は避けるが、被害者の児童は千葉県警の捜査に対して、「恩寵園の最高責任者である浩園長の次男晶(当時主任指導員で次期園長として園内に公表されていた)の意向に背けば、園を出るしかないので、逆らえなかった」と供述している。何という卑劣さであろうか。この被害児童の心持を察するに、すべからく大人は極悪非道の悪魔だと感じたのではないだろうか。
次男晶の悪業は、10年10月に、別な女児に対する強制猥褻事件を惹起した時に、同児童が、担当保母にその事実を伝えたことにより、園内に知られることとなり、恩寵園を退職するに至った。しかし法人恩寵園は、その事実を県に知らせることもなく、通常の退職として、晶を処遇した。結局この事件も、千葉県警による恩寵園捜索まで不問に付されることとなった。

4)、上記裁判と千葉県の判断の齟齬について
1)と2)の裁判については、平成8年4月3日以前の、13人の児童による児童相談所駆け込み事件の以前の事件を多く含むか、またはそれ以前の事件である。申し入れ人が、懲戒免職処分を求める成田・前田及び懲戒処分を求める平野・本山については、これらの事件について、充分知り得る立場にあったし、知ってもいた。
しかし、理由は不明であるが、懲戒処分の対象者である平野は「口頭上の指導の段階である」と申し立て人に説明をし、申し立て人がその不当性を指摘した時点(平成8年8月7日)で、大浜浩を擁護すると言う行動と判断を示した。同様に懲戒処分の対象者である本山は市川児童相談所における子どもたちの証言の全てを、保存する義務があったにも関わらず、その義務を積極的に放棄した。
申し立て人が懲戒免職処分を求める成田と前田は、平成8年4月3日以降、恩寵園の子どもたちの児童相談所での申し入れ及び同年4月10日の弁護士山田由紀子による、市川児童相談所での聴き取り調査を知っていながら、何らこの虐待に対する対応策を取ることがなかった。市川児童相談所での子どもたちの申し立てにおいて、2)の事実は述べられており、3)の問題について言えば、女の子の服の中に「手を入れてくると」具体的な証言も得られている。同年5月の「知事への手紙」においても、晶がいやらしいことをすると、具体的な告発がされている。

5)、千葉県の判断の誤り
こうした、当時の恩寵園児童の必死の申し立てに対する成田・前田・平野らの答弁は 前代未聞の虐待事件の首謀者である大浜浩に免罪符を与えるものであった。平成8年8月7日の児童家庭課成田・平野と申し立て人との協議においては、申し立て人の主張は一切省みることがなされず、千葉県警が立件した刑事事件は放置されてしまった。
それどころか、成田・前田・平野・本山等は、「園長を辞めさせる事は出来ない」「子どもたちにも問題があったのだろう」等の問題発言を繰り返し、子どもたちの虐待についての告発を無視し続けた。問題は1)・2)・3)の判決で明らかなように、児童擁護施設における 虐待を、どのように判断するのかと言う問題であった。しかし、成田・前田・平野・本山等は、単純な児童虐待の問題を、施設内の労使問題にすりかえてしまったのである。
 何故そうなったのかについては、申し立て人には不明であるが、この時に成田・前田・平野・本山等が、千葉地裁と同様な見解を持って事の解決に当れば、その時点で解決していた問題なのである。
しかし、千葉県児童家庭課は、大浜浩の不法行為について何ら問題として処理する事をしなかった。平成6年の事件で千葉地裁に懲役八月の実刑に断罪された大浜浩の行為が、全く同じ事件について、千葉県の判断では全く問題無しと判断された。それどころか、前田は前園長浩の違法行為に抗議する職員に対して平成8年4月9日には、恩寵園に赴き恫喝を加えてもいる。同事件について、本山は当時の子どもたちの証言についての一切の記録を保存する義務を怠った。
千葉県の当時の判断の誤りは明かでである。この時点での、判断の誤りによって、この後の恩寵園では、1)で指摘されるように、継続的な違法状態が継続されることとなったばかりでなく、更なる被害を生み出すこととなった。

6)、恩寵園の子どもたちの具体的な被害
平成8年の児童相談所駆け込み事件に参加した13人の児童処遇について、平成9年4月時点の在園児童には該当者は一名もいない。たった一年間の間に、13人の子どもが恩寵園から放逐された。ある者は教護施設に、ある者は養護する能力の無い保護者の元へ送り返された。彼らなり彼女らなりは極めて困難な日常を送ることを余儀なくされた。当時恩寵園で生活をし、中央児童相談所に恩寵園の体罰を述べようと思った子どもは、前田に追い返され、その後措置解除され保護者の元に返される。しかし結局、数ヶ月の内に香取学園に措置され、香取学園での体罰・虐待を告発する当事者となった。
千葉県は、申し立て人らの告発に耳を傾けることなく、平成9年9月に恩寵園が正常化したとして、新規児童の入所措置の停止を解除して、新たな入所措置を再開した。この入所再開の時期と全く一致した時期に行われたのが、3)の晶による在園女児に対する強制猥褻と婦女暴行事件である。当時の被害児童の心持は察するに余りなものがある。園長大浜浩の過酷な支配に抵抗した子どもたちは、園から追放され、職員たちすら園長の取り巻き以外は同年3月末日に退職し、体罰や虐待を平気で行う施設運営が復活している中での犯罪であり、「最高責任者である、園長の次男の命令に逆らえば、園を出るしかないと思い、逆らえなかった」という、被害児童の言葉を最も重く受け止めなければならないのは県であり、その責任は平成8年4月5日以降、何らの行政的処置を行おうとしなかった成田・前田・平野・本山等にある。
7)、児童福祉法・生活保護法に定める措置要件の無視
平成10年5月、当時恩寵園在園児童であったM(当時16歳)は、突然園長大浜浩に呼び出され、措置解除若しくは措置変更を申し渡された。Mは、やむを得ず実父との生活を選択することを余儀なくされた。しかし、実父は全く扶養義務を行使する意思はなく、翌日には当時誰も居住していない家に、Mを放置した。Mはこれ以降本人の意思とは関わり無く16歳の単身世帯としての生活を余儀なくされ、当時通学していた高校も中退することを選択せざるを得なかった。
行政が、定職すら得ることが出来ない16歳の女児の現実を知りながら、何ら救済の方法を取ることもなく放置したことは、ただ驚くばかりである。この場合、児童相談所としては一時保護をした上で、他施設への措置再開か、福祉事務所と協議の上16歳の単身世帯として生活保護の適用を考えるべきであった。そうした措置が選択されていれば、Mは高校通学も継続でき、その後の生活が大きく変わる可能性は極めて大きかったと考えられる。
その後のMの生活の悲惨さは筆舌に尽くしがたい状態が継続された。当時、Mの生活状態を把握する責任があった市川児童相談所は、この事実を充分知りながら、国民の最低生活を受ける権利を保障することも無く、これを放置した。
当時、市川児童相談所職員石川はMの住居を、幾度となく訪問し、Mが憲法に定める最低生活を受ける権利が侵害されていることを充分理解しながら、何らの対策を講じることもなく、これを放置したことは、児童の健全な育成のために公務を司る児童相談所職員として、あってはならない事である。制度として存在する、法の執行を恣意的に妨げたと判断せざるをえない。
申し添えておくが、申し立て人がMの事について述べている、行政的な保護について言えば、通常の措置を逸脱したものではなく、石川が自らの職務に忠実に行動するのであれば、容易に選択できた事項である。

3、本件申し入れのまとめ


 恩寵園を巡る、一連の問題は、千葉地裁の判決を見るまでもなく、極めて単純な事柄である。児童養護施設で行われた、社会的に許されることの無い過酷な体罰・虐待という、単純な人権侵害の問題であった。民事裁判で認定されているように、行政の裁量が働く余地は極めて狭く、平成8年4月の13人の子どもたちの児童相談所への駆け込みの時点で成田・前田・平野が児童福祉を司る地方公務員としての常識と職務に沿って実務を行い、社会福祉法人恩寵園に対する改善勧告を行えば、容易に解決をした問題である。現に、平成12年2月16日の改善勧告により、問題は容易に解決した。平成8年の時点で改善勧告を出していれば、それ以降の悲劇は容易に防げたのである。
 浩の傷害事件は平成6年の事件であり、平成7年8月以降は千葉県も既知の事実である。しかし、成田らはこれだけの事実を知りながら、何ら解決に向けた方策を講じることもなく、民事裁判でいうところの無効な指導を繰り返した。結果として、多くの児童の生活を困難な状況に陥れたばかりではなく、平成9年には晶による児童養護施設における強制猥褻・強姦事件へと、事態を発展させてしまったのである。さらに、Mに対する強制的な措置解除と最低生活の侵害と本宮の判断の誤りに見られるような行政判断の誤りは数限りなく県の行政執行に対する県民の不信を増大させた。
 成田・前田・平野の行為の最も悪質な点は、平成12年の千葉県警による捜査に対する間接的な妨害をしたことである。恩寵園の子どもたちが申し立てた前園長の違法行為の多くは、成田らの無策のために平成12年当時、時効が成立してしまい事件として立件することが出来なくなってしまった。平成8年時点で立件されていれば、数多くの傷害事件が法の判断に委ねる事が出来たのである。
 以上、成田・前田・平野・本山・石川等は、地方公務員としての職務を遂行せず、結果として恩寵園の数多くの児童に対する精神的・肉体的虐待及び性的な陵辱を放置したこと、更に恩寵園を強制的に退所させられた要保護児童を実父による養育拒否を知りながらその事実を放置した。これらは児童福祉法第25条(要保護児童発見の通知義務)、同第27条(都道府県の採るべき措置)、同第28条(保護者の児童虐待等の場合の措置)、並びに前記に述べた、地公法に定める違反行為に該当する。
 よって、地公法第28条1「勤務実績不良、適格性の欠如」及び第29条の2(懲戒)「職務上の義務に違反し、叉は職務を怠った場合」に基づき、懲戒免職処分及び懲戒処分とするのが相当である。

添付資料:「養護施設の児童虐待」一冊