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がんばれ!恩寵園の子どもたち
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(最終更新 2004/09/23)
恩寵園の子どもたちを支える会
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大浜浩園児傷害事件 / うごき / 損害賠償請求裁判  / リンク

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         ≪ 損 害 賠 償 請 求 訴 訟 ≫

★次回日程 

   10月14日(木) 午後1時15分  千葉地裁501号法廷にて


            (恩寵園の子どもたちを支える会代表 浦島佐登志)


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更新 2002/ 4/ 6
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児童養護施設千葉恩寵園の児童虐待

 千葉県船橋市にある「恩寵園」は、1946年、戦災孤児のための施設として兵舎の払い下げを受け、開設しました。1952年に社会福祉法人の認可を受け、現在児童定員70名の児童養護施設です。児童養護施設とは、「保護者のない児童、虐待されている児童その他環境上養護を要する児童(乳児を除く)を入所させ、これを養護する施設(児童福祉法第41条)」です。

 ところが、子どもを養護すべき児童養護施設「恩寵園」では、長い間児童虐待が行われていました。大濱浩園長は、「体罰は、創立以来の伝統」と公言するなど、児童福祉を食い物にしてきました。子どもたちの証言によれば、「ビンタ、ケリは当たり前」と日常的に暴力にさらされていました。さらに、「子どもを乾燥機に入れ回した」「子どもを裸にして池に浸けた」「子どもが手に持っているティッシュに火をつけた」「死んだ鶏をベッドに入れ、一緒に寝かせた」「子どものペニスにハサミをあて、血を流した」「24時間正座させ、トイレに行かせなかった」「子どもに首輪をつけ、鎖につなぎ、床においたどんぶりからご飯を食べさせた」「熱いお風呂に、子どもを無理矢理浸からせた」「園児全員が見ている前で、子どもの足首に包丁をあて、血を流させた」「高校生の女子の園児を、下着だけの姿で立たせた」「子どもを麻袋に入れ吊した」など、数々の虐待を行ってきました。

 子どもたちは、大濱浩園長の虐待について、もうどうしようもないことと諦めていました。「ちくったら、園長に殺される。」というのが、皆の思いでした。子どもたち同士で、「私たちって何のために生れてきたのだろう。こうやっていじめられるために生れてきたのだろうか。どうせ親に捨てられた子どもなんだから、しかたないのか。」と、よく話していました。
 そして、大濱浩園長は、「親を恨め。お前たちが苦労するのも、お前らを捨てた親が悪いんだ。」とすべて親のせいにしようとしていました。
 このように、大濱浩園長以下職員の虐待は常態化し、子供たちは、いつも怯えて生活していました。それでも、子供の側にたち、子供たちを守ろうとする職員も一部にいました。

 1995年8月、児童相談所に匿名の電話がありました。その内容は、「千葉恩寵園で児童虐待が行われている」というものでした。千葉県及び児童相談所は、調査の結果、虐待の事実を確認し、同年10月に千葉恩寵園に対し、児童相談所及び県児童家庭課が指導しました。しかし、大濱浩園長に対する処罰はありませんでした。
 そして、県の指導にもかかわらず、恩寵園における児童虐待は無くならず、子供たちを守ろうとしていた職員が、大濱浩園長への抗議として、一斉に辞表を提出しました。自分たちを守ってくる職員の退職を知った子供たちは、1996年4月、とうとう集団で脱走しました。
 恩寵園を逃げだした13名の子どもたちは、千葉県の4ヶ所の児童相談所に逃げ込み、大濱浩園長の長年の虐待の事実を伝え、「大濱浩園長を辞めさせて欲しい」と訴えました。
 ところが、脱走した子供たちを保護した児童相談所は、大濱浩園長を解職する事もせず、子供たちを他の養護施設に移管することもせず、もとの恩寵園に戻しました。大濱浩園長は、子供たちに体罰をしないと約束しました。児童相談所にいては、学校に通うことが出来ないので、子供たちは仕方なく恩寵園に戻りました。一斉に辞表を提出した職員も、園長が体罰をしないのならと、辞表を撤回しました。
 千葉県は、過去の児童虐待の事実を知りながら、園長の責任を追及せず、恩寵園に対する指導を行うことで、問題を解決しようとしました。園長の責任を問うと、そこまで放置した千葉県の責任も問われるとの判断からでした。

 その後も、県の度重なる指導にも関わらず、虐待は続き、子どもたちは「助けて欲しい」と、沼田武千葉県知事に手紙を書きました。子供たちは「子ども自治会」を設立し、子ども自治会名でも、千葉県知事に「園長を辞めさせて欲しい」とお願いしました。ところが、千葉県知事からの返事は、「明るく豊かな千葉県を作るためにお力添えいただき厚くお礼申し上げます。皆さんも健康に気をつけて頑張って下さい。」と、虐待の訴えとは、まったく無関係な回答でした。
 恩寵園の女の子が千葉県庁にも足を運び、虐待の事実を訴え、「大濱浩園長をやめさせて欲しい」とお願いもしました。
 ところが、千葉県は、改善命令を出すべき立場にも関わらず、「県には権限がない」と逃げ腰で、虐待した大濱浩園長を解職しようともしませんでした。

 そして、1996年10月、再度大濱浩園長の子どもに対する暴力がありました。
 子どもが「こんなところにいたくない」と言って手で壁をたたいていたところ、園長が「壁を壊す気か!」と怒鳴り、その子の顔をパーンと拳で殴って鼻血を出させました。職員が批判すると、職員が目の前で見ていたことなのに、園長は「そんなことはしていない」としらを切り、園長側の主任保母も「たまたま男の子が暴れてたから、当たって鼻血が出ただけ」だと園長をかばいました。職員は、これではやっていけない、園長は全然反省していないと挫折感を感じ、疲れ切り、1996年の年末から翌年1月にかけて次々と退職願いを出し、1997年の3月には、主任保母と園長の息子である指導員を除く全職員が退職しました。

 これらの事実に怒った市民は、1996年4月、千葉地方法務局と県弁護士会に「子どもの人権救済申し立て」を行いました。しかし、千葉県は、現在虐待は行われていないとの見解で、申し立てを無視しました。
 1997年7月に、「県の児童への虐待禁止の指導に従わない園長への公金支出は違法である」と、住民監査請求を出しました。しかし、千葉県監査事務局は、「違法ではない」と、棄却しました。
 さらに、署名運動を行い、 1996年10月に1049人分、 1997年6月に862人分の署名と、知事あての要請書を提出しましたが、千葉県は改善命令を出しませんでした。

 そして、1997年10月、「恩寵園の子どもたちを支える会」が「大濱浩園長の給与相当分の措置費を返還せよ」と住民訴訟を起こしました。子どもたちは未成年者であるため、虐待を受けても訴訟を起こす権利が無く、市民たちは子どもたちの代理人になることができず、窮余の策としての住民訴訟でした。
 2000年1月、判決が出ました。主文では敗訴し、措置費の返還は認められませんでしたが、裁判所は虐待の事実を17件認定しました。子どもが脱走した後に行われた県の指導後も、4件の虐待の事実を認め、「県の指導は効果がなかった」と認定しました。
 さらに、「大濱浩園長の解職を含めた指導体制の改善勧告をすべき状態は、1996年4月以降も継続していたものと認められるのであるから、千葉県知事が解職を含めた改善勧告をしなかったことは違法であった 」と、現在も違法状態であることも認めました。

 ところが、千葉県は判決の主文ではないので、判決文には拘束力はないとの見解で、大濱浩園長を解職しようとしません。

 また、1999年9月に日本テレビで、恩寵園の虐待問題が取り上げられました。子どもたちは、家庭復帰できる状況にもないのに、大濱浩園長に逆らう子どもたちは、恩寵園を追い出されました。事態を重く見た厚生省からも、県に指導が入りましたが、県が子どもたちの追跡調査に入ったのは、2ヶ月後の11月末でした。そして、2000年2月現在でも、恩寵園を追い出された子どもたちの追跡調査は「いつ終了するかわからない」と、まるで、やる気がありません。
 さらに、12月の放送によると、恩寵園から高校に進学した子どもは、男の子は過去20年間、まったくいませんでした。女の子もほんの数人でした。全国の養護施設の高校進学率が70%になるにも関わらずです。大濱浩園長の虐待と闘う子は、不良として教護院に送り込まれ、そうでない子も、恩寵園を出たさに、高校進学ではなく中卒で就職し、恩寵園を逃げるように出ていきました。

 恩寵園を出た子どもたちは、虐待の後遺症に悩まされています。
「大人は皆悪魔だ。絶対信用しない」「不安になってくると、無意識の内に自分の腕を刃物で切り、血を見ると安心する」「腕には無数の傷跡が残っている」「悲鳴が聞こえると、足が萎えてしまい、体中の力が抜けて、動けなくなる」「自分の体や命なんかどうなってもかまわないと、やぶれかぶれになってしまう」「人から見るとものすごく危険な行動も、何故かやってしまう」「虐待されてきた男の子の中には、三重人格になってしまった子がいる」「虐待されていた事実を思い出す時と、全く思い出さない時があったり、意味不明の言葉を話し続けたりする」など、大濱浩園長の虐待とは、子どもたちの心を深く傷つけ、恩寵園を出たあとも後遺症として残っています。

 1999年12月、現在も児童が職員らに体罰を受けているとして、市民団体「恩寵園の子供たちを支える会」が、暴行と傷害の疑いで、大濱浩園長と職員を千葉県警察に刑事告発しました。児童養護施設の園長が児童虐待で刑事告発されたのは、前代未聞のことです。告発は受理され、現在捜査が行われています。しかし、暴行は3年、傷害は7年の時効の壁に阻まれ、立件は難しい状況です。


 このような、児童養護施設ならぬ「児童虐待施設」である千葉「恩寵園」の実態を知りながら放置した、千葉県知事、千葉県児童家庭課及び児童相談所職員の責任は、大変重いといわざるを得ません。
 遂行すべき職務を遂行せず、裁判所も認定した違法状態を放置している千葉県の態度は、地方公務員法第30条(すべて職員は、全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し、且つ、職務の遂行に当つては、全力を挙げてこれに専念しなければならない。)に違反しています
  また、裁判所が「解職を含めた改善勧告を出さなかったのは違法であり、現在も違法状態が続いている」と認定したにもかかわらず、同法第32条(職員は、その職務を遂行するに当つて、法令、条例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程に従い、且つ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない。) の法令等に従う義務にも違反しています。

 私たちは、千葉恩寵園の児童虐待の実態を、広く社会に訴えるとともに、千葉県知事及び児童家庭課に対して、次のことを要求します。

  1. 千葉県は、一刻も早く、恩寵園大濱浩園長及び虐待に加わった職員の解職命令を出して下さい。
  2. 虐待を放置した社会福祉法人「恩寵園」の理事全員を解職して下さい。
  3. 大濱浩園長と職員による虐待の実態を調査し、公表して下さい。
  4. 虐待を受けた子どもたちのケアを行って下さい。
  5. 虐待を受けた子どもたちに、千葉県知事及び関係職員は謝罪して下さい。
  6. 虐待を知りながら、虐待を放置した県職員を処分して下さい。
  7. 虐待を受けた子どもたちに、損害を賠償して下さい。
  8. このようなことを二度と起こさないため、児童養護施設を監視する、第3者機関によるオンブズパーソン委員会を設置して下さい。

 
カンパのお願い

 恩寵園の子どもたちを支える会では、恩寵園を追い出された子どもたちの支援活動を4年間行ってきました。恩寵園の子どもたちと出身者は、経済的余裕がなく、支える会の活動は、全額メンバーの持ち出しにより、まかなっています。裁判費用、マスコミ等問い合わせに対する資料のコピー代・送料、チラシの印刷、送料、子どもたちへの生活支援など、4年間の活動で100万円を超える支出がありました。
 今後も、子どもたちによる恩寵園への損害賠償請求裁判が予定されています。弁護士は手弁当で応援して下さっていますが、訴訟費用などは支える会が負担せざるをえません。そして、子どもたちの生活が安定するまで、ある程度支えていく必要もあります。つきましては、皆様方にカンパをお願いいたしたいと思います。お寄せいただいたカンパは、子どもたちへの支援活動に使わせていただき、使途につきましては、HPで報告させていただきます。どうぞ、よろしくお願いします。

 郵便振替 00190−3−168955
 恩寵園の子どもたちを支える会

なお、通信欄にメッセージをお寄せいただければ、HPで紹介していきたいと思います。