トップ アイコン    
損害賠償請求裁判
裁判に臨むに当っての声明

2001年3月8日
カウンタ
from 2001/3/8


 千葉県と社会福祉法人恩寵園と前園長大浜浩の三者に対する、損害賠償請求の第一回公判に行ってきました。ご報告します。裁判は1時10分に千葉地裁501号法廷で開催されました。当初、原告側が要望した、原告(こども)による冒頭陳述は認められませんでした。千葉県と大浜浩は、争いとなり、法人とは取り下げもしくは和解について原告側の態度を次回公判までに明らかにするようにとのことでした。冒頭陳述は認められませんでしたが、その後の記者会見で、原告11人の裁判に臨むに当っての声明が出されましたので、掲載いたします。

  1. どうして私達は、提訴することになったのか。皆さん理解してください

     私は前園長大浜浩が支配している園の中で生きていて、どれほど悔しい思い、辛い思いをしたのか、記憶の中では整理できません。今日原告になった11人の卒園生以外にもそういう思いを持つ卒園生は、きっと多いのではないかと思います。
     私は、虐待と暴力の最中で成長過程を生きてきました。その中で私達が見ることを強制されてきたことは、とても人に語れない、哀しい物語でした。一緒に生活している友達が、傷つけられる毎日を過ごさざるを得なかったのです。
     自分の回りにいる人が、今日は誰がやられるのか、どうしたら自分は対象から逃れることが出来るのか。私達は、大浜浩被告と顔を会わせないように、目を合わせないように生きる事を学びました。それでも、大浜被告の為に悲しい思いをしなければならない人は沢山いました。金属バットで殴られた、足を切られた、乾燥機に入れられた、麻袋に吊るされて一晩放置された、頭を丸刈りにされて見せしめに学校に(男も女)も行かされた。私達にとって、こうした経験はとても辛いものであり、通りすぎてしまったこととして、過去に葬り去ることは出来ません。

  2. 私達は全ての権利を剥奪されました

     私は、97年の4月に恩寵園を追い出されました。「この先大丈夫なんだろうか?」との不安が大きかったのですが、もう園にはいられず、飛び出しました。千葉県の統計では、円満な退園としてカウントされています。大学進学希望の私が、高校三年生の4月に園を追い出されたのです。円満な退園であるはずが、ありません。
     13人の児童相談所駆け込みメンバーで、園から最後に追い出されたのは私です。児相への告発をした仲間は、一年間で全員恩寵園から、姿を消さざるを得なかったのです。ある者は家庭への引き取り。ある者は教護院へ。私がいなくなった後でも、園長に反発するこどもへの酷い仕打ちは続きました。その事を私が話すことは、お許し下さい。
     私達は一人では生きていけないこどもとして、恩寵園に措置されました。でも、私達の一人で生きられないという状況とは関係なく、措置決定がなされているのです。私の置かれた条件に合わせて、私の退園が決められたとは、とても思えないのです。全て園(大浜浩)の都合で、物事が決定されていたと、考えるしかないのです。

  3. 千葉県は、私達に「絶望しか、くれなかった」

     私達は、恩寵園の問題の解決のため、最高責任者であると信じていた千葉県の成田美代児童家庭課長に会いました。私達はその前に、千葉県知事宛に園の実情を訴える手紙もだしました。「既に婦女暴行と強制猥褻」で下獄した大浜晶が「いやらしいことをする」とも書きました。でも、その声は県に届きませんでした。
     私達は、これが最後の機会だと思って成田課長に必死になって話をしました。こうお願いをしました「このままでは、園は壊れてしまう。園内は大変な状態になっている。何とかして園を守って欲しい。そのためには、千葉県が園長を辞めさせるように働きかけて欲しい」長年、悲惨な強制と暴力を強いられて来たこどもが、檻から解き放されたらどうなるのか。でも、千葉県は私達のこうした思いまで、踏みにじりました。回答は一言でした「私達には、あなたたちに、やってあげられることはないのよ」
     不思議なことですが、5年前に出来なかったことが、昨年出来てしまいました。実態を話した人は、5年前も昨年もほとんど同じ。私に、考えられるのは、千葉県の基準が知らないうちに変わったのだとしか、考えられません。裁判で争う以前に、いつ判断が変わったのか教えてください。
     私達は、千葉県の明らかな判断ミスのために、有意義な4年間を苦痛と悲惨な人生を送らざるを得ませんでした。この辛さを、一体だれが回復し保証してくれるのでしょうか。そのために、希望を捨てざるを得なかった卒園生もいるのです。その人生を、大きく捻じ曲げてしまった、千葉県はその張本人なのです。

  4. 法人恩寵園に対して

     素晴らしい施設に変わって欲しい。期待はしています。ほとんどそうなりつつあることは、聞いています。でも、新田目先生は私達に語りかけてくれたけれど、理事会として私達へのメッセージは全くありません。私も原告の全員もそう思っています。「恩寵園を故郷として思いたい」「今いるこども達に、先輩として会いに行きたい」最首理事長先生にお願いします。直接私達に、話しかけてください。
     私達が、旧理事会が決定した廃園方針に、何故反対したのかを考えてください。私達は去年の2月28日に正式発表された、廃園方針を忘れることは出来ません。園の存続の為に、必死になって頑張りました。その結果、恩寵園は存続する事が出来ました。「廃園方針を県に伝えたのも最首理事長。それを撤回したのも最首理事長です」私達との関係を決めるのも最首理事長です。私達は最首理事長の大人としての、決意をお待ちしています。

  5. 原告としての思い

     5年が経って大人になりました。この裁判は、私達の意思で頑張りたいと思います。恩寵園のこども達は、成長しました。5年前に児童相談所に駆け込んだ行為について、誇りに思っています。それ以降、継続される施設内虐待の告発についても、とても嬉しく思っています。あの時児相に行ったことが、今日に繋がっていることを、ヒシヒシと感じます。この事が、養護施設に今暮らしている、こども達のお役に立てれば、それはとても嬉しいことだと思っています。